・1/9・駐車場は向かって左側にあります
・2/9・総門
・3/9・階段・見える建物は舞殿
・4/9・舞殿
・5/9・拝殿と脇殿
・6/9・本殿・一般の人は本殿の周りには行けません・柵の外より撮影
・7/9・本殿
・8/9・神樹
・9/9・本殿・拝殿・脇殿
この切り替えはHTML+TIMEで行っています。(枠の色も変化します)

私には宗教心は全然ありません。もし、この世の中に宗教がなければ争いは半減して今より平和な世界になっていると思っています。
でも、神社仏閣の建物や静かな雰囲気は好きなので、昔は会社の出張などの休暇によく出かけていました。
観光地で一番困るのが駐車場があるか、ないかの問題ですが、この神社には写真のような駐車場が左側にあります。
静かな場所で、国や県の重要文化財にもなっています。近くに王任塚の桜の名所もあり、来春にこの周辺を詳しく散策したいと思います。


下記の文は神社内の立て看板のものを写しました。

重要文化財・武田八幡神社本殿・
昭和4年4月6日指定

武田八幡神社はもと武田八幡宮と呼ばれた。社記によれば、往古この地に武田王をまつる宮社があったところへ、弘仁13(822)年2月勅命により、九州宇佐八幡宮を勧請して王の宮社に合祀し、武田八幡宮と称したのが起こりで、のち貞観年間(859-876)に京都石清水八幡宮を社中に勧請した。
新羅三郎義光いらい甲斐源氏の尊崇が厚かったが、ことに義光の曽孫信義は武田の郷に居館を定めて武田の太郎と名のり、当社を氏神とあがめて崇敬のかぎりをつくした。のち3百年を経て天文10(1541)年、武田晴信(信玄)が甲斐の守護になると、当社本殿の造営に着手し、同年12月23日に早くも落成した。
本殿は三間社流造・桧皮葺で、身舎は桁行三間・梁間二間、柱は円柱を用い、組物は通肘木つきの和様出組として軒支輪を設け、組物間の中備は間斗束である。頭貫の先端は木鼻をつけ、室町期の特色を見せる。
正面三間は幣軸構えとして金箔押しに八双金具で飾る両開きの板唐戸をつけ、扉の両脇の方立面を埋める松・竹の透彫装飾は豪華絢爛である。壁は板で、周囲には刎高欄つきの縁をめぐらし、両側に脇障子を備える。
正面には昇高欄つき階段を設け、向拝前面に浜床を張る。向拝三間は面取り角柱で、組物は桁行外方にだけ二手先となる通肘水つきの連三斗組をおき、中備えに透彫の装飾を入れた蟇股を飾る。妻飾りは虹梁大瓶束で、屋根は桧皮葺の切妻造りで、前方の流れを延長して向拝屋根賭したいわゆる三間社流作りをなす。
本殿全体は木割が雄大で、しかも装飾的意匠にすぐれた室町時代の特色を示し、武田氏興隆期の力強さを誇る遺構として貴重な有形文化財である。


詳しい情報は【韮崎市観光協会】

壁紙等は---キラキラ素材の館より

武田八幡神社(武田八幡宮)・11月4日撮影




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