韮崎市にある新府城跡に桜見物に行きましたが、遅かったようです。だいぶ葉も出ていました。
桃にはまだ早く後日撮影に行きましたが、データを消してしまったようです。
新府城は武田勝頼が韮崎に真田昌幸に命じて築いた城である。突貫工事で8ヶ月で造り住むこと3ヶ月、自ら火を放ち落ちのびていった。
武田家最後の城である。山梨に住んでいながらこの武田三代好きにはなれない。もし、私がこの時代に住んでいたとしても、農民くらいの地位だろう。
この武田家に苦しめられたのではないか。武将としては有名かも知れないが、領民にとって戦は大変な不幸なことだと思う。
何人、武士以外の人が死んだのか計り知れない数だと思う。
侵略しなければ侵略される、時代背景もあったろうが人を人とも思わぬ武将たち。今は観光資源としてもてはやされている。
武田三代、近代史にも似ていないだろうか。明治、大正で築いた外国の利権など、昭和になって全て失った。侵略とはそのようなものかも。
市政でも箱物を造っては、赤字を出し指定管理制度に移行。造ってすぐに火を放すのと同類に見えるのだが。
韮崎の観光情報は【韮崎市観光協会】