--雑記帳-2010年9月-10月--

更新履歴
2010.10.30
2010.10.20
2010.10.09
2010.09.26
2010.09.11

今年はそれほどの暑さは感じませんでした。
暑い暑いと騒いでいる人は懐も温かいのかな。
後1月もすればキノコの季節。この季節には少しは人も立ち寄りますが普段は殆ど訪問客はありません。
孤独死を身近に感じる近頃です。20日以上ホームページやブログが更新されない場合には身体に異常があったと思ってください。

棚池2号が完成しました

庭に作っていました棚池2号が8月にモルタル仕上げして、水漏れやアルカリの調整など終わり9月11日に金魚やメダカや水草を入れ池として完成しました。
棚池は何号まで造るか分かりませんが、年に2池程度3年で6個の池を造る予定です。
健康が維持できれば増やす可能性もあります。
9月中に棚池1号を仕上げる予定です。
1号・2号は穴を掘った順序で仕上げた順序ではありません。
仮枠を作りコンクリートを流し込む池は造ったことはありますが、モルタルを塗って造る池ははじめてなのでセメント使用量の少ない2号池からモルタル工事を行いました。
自然の石全てを表わす今回の工事、思っていたより良く出来たと思っています。
詳しくは「何でも作ろう」に載せてあるのでそちらで見てください。9月11日

棚池1号が完成しました

棚池2号が完成したので、シート池として利用していた棚池1号の金魚やメダカなどを移動して水抜きを行いました。
自然の石は表わすためにシートを切断し金網を乗せてモルタル塗りを行いました。
塗ってからまだ日が浅いのですが、先日の雨でだいぶ水がたまってしまいましたので追加注入をしました。
アルカリが強いのでまだ魚は入れられませんが来月に少し金魚でも入れないとボウフラが発生しますので入れる予定です。
今年はこれで完成させる池はありませんが、3号池と4号池の穴掘りは今年行っておく予定です。

詳しくは「何でも作ろう」に載せてあるのでそちらで見てください。9月26日

国勢調査 調査員も用紙も我家には来なかった

北杜市は数年前、国策の飴と鞭に踊らされ北巨摩郡の町村が合併して市政として誕生しました。
武川村の時代は行政の機関紙など配布されたり選挙公報なども配られ良い村でしたが、市政になると機関紙の欲しいものは役所まで取りに来なさいという始末。
選挙公報も新聞折込になり、新聞を取っていないものは役所まで取りに来いと言っていましたが反発もあり前回の衆議院選挙から、お願いすれば郵送してくれることになりました。
しかし、次の参議院選挙では新たにお願いしないと送ってくれず我家に届きませんでした。一度申請したら毎回送るという親切なことはしないようです。
市の機関紙が市民全部に行き渡らないと市民も困るが、市の方針が市民に伝わらず市の方が困るのではないでしょうか。

国勢調査は大正9年に始まり5年に1度行われ今回で19回目、重要な統計データを集め、地方自治体の交付金や小選挙区の区割りなどに使われています。
全てのことがこのデータによって行われるのです。約1億2700万人、5000万世帯を調べるため調査員70万人、国(総務省)からの委託を受け地方自治体が行うそうですが、膨大な予算を使うのですから精度の高い統計にしなければなりません。
ただ、ホームレスの人たちはこの調査から外されるようです。住んでいない人たちは調べようがない事は良く理解していますが、彼らも日本人なのです。人工は実際より少なくなるのではないだろうか。
ホームレスの人たちは非人扱いですが、私自身今回は非人??扱いを受けました。私はホームレスではありませんが調査員は来ませんでした。
もしかして家を探したけれど見つからず、調査員が勝手に書いて提出してしまったのでしょうか。
私一人なら統計上何ら問題はないかもしれませんが、同様なことは全国では相当な数になると思います。統計そのものの信用性がなくなってしまいます。
選挙公報の事もあり、国勢調査用紙も新聞の折込で配ったのではないでしょうか、なんて変な想像してしまいます。

ブログとほぼ同じ文です。 10月9日

縄文土器掘り当てる

前にも書きましたように大昔土石流があったようで、庭には大きな石がゴロゴロしています。この石と石の間を掘って池を造っています。
棚池の製作も3箇所が終わり、今年は後1つで残りは来年に製作する予定です。
石と石の間を掘るには鍬やスコップは使えずバールで少しずつ土を出しています。
この時人工的なものが出てきて掘ったものを洗うと模様が出てきました。縄文土器の破片のようです。
本物の縄文土器か、偽縄文土器か分かりません。古代人が住む場所ではなく昔は河原のような場所なので不思議に思っています。
昨日掘って土器が出た周辺を今日も掘って見ました。個数としては昨日より多く出てきました。
冷静に考えてみると土石流で流されてきた土器ではないということです。土石流と一緒に流されてきたならこの様な形は存在しないでしょう。
砂や石と混じっているはずですが、これらの土器は上の層の土の中から発見されていますので土石流後誰かが割って捨てたと考える方が適切でしょう。
これが本物なら土石流は縄文時代より前に土石流があったと考えられます。偽物なら前の地主がお土産の壺を捨てたと考える事も出来ます。
いずれにせよ、白黒はっきりさせるため北杜市の教育委員会に行ってきました。ここでは鑑定できず別の専門機関で調べるとの事でした。

土器の破片の鑑定は担当者から次のようなメールが届いた。
届けていただいた土器は、縄文時代中期末から後期初頭、およそ4,000年前頃の加曽利EW式から称名寺式にかけての深鉢形土器の破片です。

と言うことは本物の縄文土器でした。庭に沢山ある大きな石は土石流が縄文時代またはそれ以前に起きたことが分かっただけでも収穫である。
でも、縄文時代とはいつ頃なのだろうか。正確に答えられる人はいないと思う。
検索で調べても、16500年前から3000年前・12000年前から2500年前など調べた件数全てが違う数値を書いている。
北杜市の担当者が現場を見て池の工事は再開できるようになった。10月14日 アップは20日

棚池3号・4号が完成しました

棚池3号・4号は来年造る予定でしたが砂の在庫があり、時間もありましたので造ってしまいました。
自然の石を利用していますのでモルタルと石の隙間から水漏れも多いのですが、ゴミを多く含む土などを入れると水漏れが少なくなります。

詳しくは「何でも作ろう」に載せてあるのでそちらで見てください。10月30日

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