私がこの土地(山梨県北杜市武川町)を買い小さなプレハブ小屋を建てたのが昭和51年ですので30数年になります。
この土地を選んだのは、周りに人家はなく発展がないと思ったので、人付き合いの下手な私は老後静かに生活出来そうだったからです。
そして、20年以上のの歳月が流れ、この10年にアット言う間に我家から200メートル離れた所に家が10軒ほど建ち並んでしまいました。
ただ、これだけなら問題はないのですが、都会からの別荘の人は車高の低い自動車に乗っています。
道路が荒れると自動車の底が付くようで、道路の修理の話が彼らだけで話し合われています。

この周辺の道路は樹に例えることが出来、通り抜けの出来ない山道です。土にあたる部分が公道だと思ってください。樹の中間の幹にあたる場所に彼らは家を建てました。
更に登ると樹の天辺に清流園と言う別荘管理組合があります。私は幹の中間の少し上から出た枝の先端に住んでいますので幹を通らないと一般道に出られません。
樹の枝先の悪路に住んでいるために、以前はジムニーと言う悪路に強い自動車に乗っていましたが、今は眼が緑内障のため事故を起こし人様を傷をつけては大変なので、廃車にして自転車に乗って買物や通院をしています。

以前、清流園と新しく来た人たちが私の頭越しに道路工事の計画をたて、砂利を敷いて請求書を突きつけてきましたが、私は支払いませんでした。
計画の時は蚊帳の外、請求は蚊帳の中に入れでは虫が良すぎます。自分達の家の前だけ砂利を敷いてあなたもこの道路を通るのだから、私達と同額を支払えとはおかしな理屈で、誰のために砂利を敷いたのか考えるべきです。
その後、北杜市から砂利の支給を受けて住民や別荘の人が出て、私も混じり道路工事を行うようになり、彼らとのイザコザも消えたかに思っていました。

2011年秋、道路が荒れているので砂利を敷く計画をし、清流園の道路担当のNE氏が来て、明日道路工事をするから手伝って欲しいと頼まれました。
ここまでは良かったのですが、砂利を敷いた後に業者に頼み再び工事をするので、あなたも皆さんと同額の分担金をお願いしますという。また、頭越しに工事計画をし、自分達の家の前だけ砂利を敷き、私の道には一粒の砂利を敷かないのに同額とは頭にくる。まして今は自動車に乗っていない。
私は、この様な訳の分からない工事にお金は出せないと言う。あなたも道を使うのだから、自転車でも何分の一かは負担していただけませんか、ならば話は分かる。
同額でなければ駄目だと彼は主張した。「あなたの所にも郵便配達が自動車に乗ってやってくるでしょう。その時砂利を敷いた道を通るのであなたが自動車を乗り回しているのと同じことだ」と彼は言う。
訳のわからない理屈に私は支払いをはっきりと断ったら「あなたのような態度をとっていると、近所の人に付き合ってもらえなくなりますよ」と彼が言った。
「私は孤独にはなれていますので、あなた方が相談して私を村八分にするのなら、それでも私はかまいませんよ」と彼に言った。家に来る前にお金を支払わなかったら、皆で木内と付き合うのはやめようと談合したらしい。
とりあえずは、道路工事の勤労奉仕だけは出ることにした。

以前、清流園などに騙され道路の側溝の工事を勤労奉仕でさせられてしまった。
その当時の会長はすまないと反省し道路修理費は私に請求しないでいたが、地域の歴史を知らない新しい人が、大きな顔しているのが腹が立つ。
そして、昨年清流園は道路工事をして、私が入れた側溝を復活させて使用している。 この、側溝を私が入れたことを知っている清流園の人が何人いるのだろうか。

自転車では買物出来ないものもある。例えば灯油だ。「自転車では灯油が買ってこれないでしょう。買ってきてあげましょうか。」と言ってくれた人はいない。これらの人から村八分にされたところで何の影響もないではないか。
学校教育などで無視すると虐めというが、私はそうとは思わない、無視されたら、こちらも無視すればよいことだから。今後は会っても挨拶程度にしておこう。

【村八分】
1 江戸時代以降、村落で行われた私的制裁。村のおきてに従わない者に対し、村民全体が申し合わせて、その家と絶交すること。「はちぶ」については、火事と葬式の二つを例外とするところからとも、また「はずす」「はねのける」などと同義の語からともいう。
2 仲間はずれにすること。

新雑記帳・キウチ マサオ

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