心臓病 (1)

2012年2月14日、約1時間半ほど真原方面や自宅の周辺を散歩。翌日の15日に雪の残る道を確定申告を送るために郵便局まで行く。約1時間半。
その夜から寒気がして早めにベッドに入った。この時は風邪でも引いたと簡単に思っていた。
2月16日、3時半頃にまき置き場から薪を運ぶとき心臓の異常に気がついた。急に外の寒い所に出て重いものを持ったからだろう。
夜も不整脈は続き、17日になっても収まらなかった。寝床に入ると心臓の音は大きく聞こえ不安な夜となった。
ただ、私の持病は心房細動なのでこの病気で死ぬことはない。この異常な心臓の中で血栓が出来それが血液と共に脳に運ばれると脳血栓になる。
その血栓が出来ないように血液をサラサラにするためワーファリンと言う薬を常用している。

私は枕元にいつも刺身包丁を用意している。脳梗塞などのような病気になったら、近親者に当然迷惑がかかるので救急車を呼ばず自ら命を絶つつもりでいる。
少し、心臓の動きがひどいので、走り書きのメモをして枕元に置き、刃物を抱えながら眠ろうと努力したがなかなか眠られなかった。
17日、18日と過ぎていくが心臓の不規則な音は治る様子はなかった。ある人物が心臓病の手術を受けたと報道していた。
医師団を組織して手術をしたらしい。入院費は誰が支払うのだろうか。経過は順調だと報じられていた。

同じ人間でありながら、一方では医師団を組んでの治療、私は冷たいベットに横になりながら、自然回復を待つだけ。
命の重みは彼の方が金のように重く、私の命はタンポポの種のように軽いのだろう。

私は世界人権宣言に書かれている「人は生まれながらに平等である」と言う言葉が好きだ。現実は程遠い存在である。

前にも同じようなことが起ったが、この時は20日過ぎてやっと戻った。今回もそのくらいで心臓が正常になることを望む。
前回は自動車に乗っていたので病院に行くことは出来たが、今回は自転車では病院までは無理、デマンドバス停まで1500メートルもあり心臓病の時歩いて行ける距離ではありません。
心房細動のおきているときは運動神経が駄目になり、100メートル歩くのも大変なのです。

軽い命でも、きっと生きながらえてみせる。今まで雑草のように生きてきたのだから。
太平洋戦争で多くの人が死んだ、みんな私の命より軽く扱われて死んでいったのだろう。などと関係ないことを考えながらベットに横たわり、私は眠るように努力していた。

世界人権宣言・第一条
すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない

新雑記帳・2012年2月20日 北杜市(キウチマサオ)

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